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2007年8月 コンクリートブロックのすぐ先の写真。 国道121号は右へゆっくりと下っていく。 正面に伸びる道は行き止まりらしいが、 WEBではよく知られた情報である。 |
2007年8月 赤錆びて、傾いた防護柵が姿を見せた。 |
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2007年8月 夏真っ盛りの訪問であったので、 草は伸び放題。 ほとんど薮漕ぎ状態である。 |
2007年8月 倒れてしまった防護柵の上を歩く。 |
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2007年8月 今度は、 倒れていないが、 鉄骨のみ残って網がなくなっている防護柵が姿を表す。 |
2007年8月 コンクリートで処理された法面もあった。 コンクリートの状態を見ると結構新しいことが分かる。 |
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2007年8月 再び、 倒壊した防護柵が現れる。 |
2007年8月 防護柵をよけて進む。 足元には噂に聞くブルーシートが見えた。 ブルーシートとは言え、 色褪せて擦り切れている。 |
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2007年8月 完全に薮漕ぎ状態となった。 |
2007年8月 鉱山施設と思われるものが見えてきた。 |
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2007年8月 土砂 (鉱石?) を積み込むための施設にも見えるが、 もしそうだとすると、 国道にダンプカーが停車して荷を積んでいたことになる。 交通量が少ない時代とは言え、 何ともやくざな話である。 |
2007年8月 さらに進むと、 別の施設が見えてくる。 索道施設のようにも見えるが、 いずれにしても鉱山関連の施設と予想される。 |
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2007年8月 道からは人工的に開かれたような場所が見える。 地形図に記載されている「ろうせき」の鉱山あとだろうか。 |
2007年8月 三たび、 防護柵倒壊地点が現れる。 |
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2007年8月 四度目の防護柵倒壊地点に差し掛かる。 今度は手強い。 なお、 ここが最後の倒壊地点となる。 |
2007年8月 ちょっと一息。 すすきを接写。 |
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2007年8月 峠で車を降りてから一時間弱。 未舗装区間が終わりを告げる。 |
2007年8月 舗装はされているものの、 相変わらずひどい状況である。 |
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2007年8月 眼下には、 鉱山らしき施設が見える。 |
2007年8月 物騒な看板が。 「転落死亡事故現場 谷底に転落車あり」 と書かれている。 |
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2007年8月 水の流れた跡だろうか。 アスファルトが変色している。 |
2007年8月 「大峠凾嶺越」の石碑が姿を現した。 今まではWEBで見るばかりであった石碑を肉眼で見ることができ、 感無量である。 |
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2007年8月 断崖絶壁にへばりつくようにして道が取り付けられている。 なんと険しい道だろうか。 |
2007年8月 このカーブを曲がると、 大猿倉沢橋である。 なお、 同行のI氏がここでカモシカらしき動物を目撃した。 その動物は身軽に谷底へ下りていったらしい。 |
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2007年8月 大猿倉沢橋に到着。 なんと、 コンクリートブロックが立ちはだかっている。 |
2001年10月 2001年の写真。 ゲートが鎖でつながれている状態であり、 鍵さえあれば四輪でも進入可能であったのだが。 送電線の鉄塔点検は徒歩? |
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2001年10月 橋の手前には、通行止めの看板が立てられていた。 |
2007年8月 大猿倉沢橋から一時間弱。 眼下に鉱山施設が見えた。 |
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2007年8月 旧道に残る国道標識。 |
2007年8月 瀧ノ上橋に到着。 ゲートが設置されている。 かつて大猿倉沢橋に設置されていたものが、 ここに移されたと思われる。 |
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2007年8月 山形側、 レンタカーを置いた場所に到着。 ついに大峠踏破である、 大峠隧道前に車を降りてから約3時間30分であった。 (途中、昼食休憩と15分程度の休憩1回) |
2007年8月 レンタカーに乗って、 大峠隧道前に置いた愛車を回収する。 しかし、 この作業もなかなか大変であった。 |